Peach Spring to Las Vegas /fighting to Los Angeles
全走行距離: 2160.2mile [3476.5km]
天候: 晴れ
走行マップ Peach to Las Vegas
—————————————————————————————————————————————————-
7:45 早めに出発!
今日は少し早めに出発。
明日に備えてできれば今日中にLos Angeles に行きたいと思っているからだ。
8:00 まっすぐ、どこまでも続く道
このSeligman からKingmanまでのルート66は最高の道だ。
荒野をまっすぐな道がどこまでも続いていた。
夢のような道を、夢の鉄馬にのって時速75マイルでかけていく。
ところどころインディアンと思われる人々の住まいをみた。
壊れた車やバスを寝床にしているようにも見えた。
あ、そうそうこの辺の人たちは、ちょっとメキシコ系の人々が多い感じがする。
9:20 Kingman AZ で見つけたルート66看板
もし時間があればneedles の町までルート66を楽しもうかと思ったが時間の関係上、Kingman を最後に進路を北へ舵を切る。このルート95も最高の道だ。荒野に右手がグランドキャニオン。左手にロッキー山脈。ちょっと涙がでてくるくらい感動した。kingman から Las Vegas までちょうど100mile。2時間も走れば終わってしまう。
10:15 まっすぐ続くルート95
なんか走りながら昔はやった曲を大声で歌ってみる。米米クラブやボーイなど。そしてその歌からいろんな思い出がよみがえってくる。昔よくみんなでカラオケ行ったな~。とか、女の子を口説こうと思ったときの歌だとか。
そっからまた連鎖して思い出がたくさん蘇えってくる。大抵恋愛ごとで、昔付き合った子がいまなにしてんのかな~なんだけど。中には、本当に一生懸命がんばったことなどもある。でも受験で失敗したことは思い出さなかったな~。あの時は、受験がすべてだったけど、今は自分のほんの一部にすぎないんだなって思った。
10:50 フーバーダム
そしてフーバーダムを超えたあたりで、なんか結論がでる。
生きているって思い出を作っているってことなんだと。思い出がたくさんあれば、なんかこう”生きてる”っていえるんじゃないかな。じゃ思い出ってなんだろう?きっと”思入れの大きいもの”だろう。年齢や人によって感じるものは大きく違うけど、苦労したこと、うれしかったこと、怖かったけどやってみたことなどなど。
13:00 ラスベガスに到着
さて、Las Vegas についたら、結構な車の量だった。ここからが大変。しかも照りつける太陽で頭がボーっとしてしまう。今日はものすごく暑い。。The Depo で買い物をした後に、ハーレーショップに行こうとするが場所が良くわからない。 エージェントに電話するが、バイクを返す場所が違うとのこと。
結局指示が違ってラスベガスのど真ん中トロピカー通りを1往復半するハメに。この炎天下の中、意識がもう飛びそうでやばかった。
14:45 なんとかハーレーショップに到着し、バイクを返すことができた!
なんとかイーグルライダーに到着。
バイクを点検してもらったが特に問題なくデポジットは満額返ってきた。 2回もこけたことは黙っといた。しかしバイクを最初に受け取る日に、HDを運んでいるトラックが遅れて15時まで
受け取れなかったので、その日のお金はいらないといわれていたのに、ラスベガスで聞いたら、それは無料にはならないとのことだった。
エージェントに電話したら「え、なんのことだっけ?」みたいな対応だ。いい加減かちんときてしまった。絶対に払い戻ししてもらうからな。
それから、これからロスへ向かうと伝えると、「当日空港にいって予約すると1000ドルはかかる。一番安く行くのはバイクにのってロスへいくこと」 と伝えられた。
で、調べてみると当日でも217ドル。時間帯をえらべば130ドルで乗れるようだ。
もうこのエージェントは使わないことにしよう。こっちが知らないことをいいことに適当なこといいたい放題だ。アメリカに来て日本人に悩まされるとは思わなかった。それとは別にハーレーショップのトニー(仮名)とはとっても仲良くなった。
日本人だと伝えると、太ももに彫った刺青を見せてもらった。それは「The だるま」だった。
「お~Great」といっておいた。お母さんが泣くぞトニー(仮名)。
航空チケットを取れたのを確認したら、友人が教えてくれた「ビバリーInn」へ電話してみた。
どうやら空いている様だが、なまってて何言っているか全然わかんない。とりあえず名前だけ伝えて「とりあえず直接来い」ということで落ち着いた。
それから持っていった「EeePC」がとっても役にたった。なにが役にたったかというと、「とってもちっちゃいね」声をかけられるのだ!! そこからなぜか「日本はすごい!!」という話になっていく。
Taxi を使ってそのまま空港へ向かった。成り行きでたどり着いた「Las Vegas」だが1往復半して終わってしまった。まーここならまた来る機会もあるだろうと思うので先を急ぐことに。
16:30無事にラスベガス空港に到着
今回選んだ航空会社は「US-airways」。搭乗口で俺の荷物は全部分解されてしまった。ばらばらになった荷物を「はい、いいよ」って言われた。 というか元に戻してほしいのですが。元に戻しているといつの間にかあと10分で離陸時間だ。くそ~といそぐ。 ほんとぎりぎりで乗ることができたが、今度は離陸まで30分以上も待たされた。そのおかげで18時半にロスにつく予定が19時になっていた。
19:00 あっという間のフライト
ツーリングが終わって安心しきっていたが、そういえば夜のロスって危険なんだっけ。
空港でよく盗まれるって話も聞くな。子供がオトリになって大人がかっさらうみたいな。
しかも、これからはちょっとノープラン。「ビバリーInn」までどうやっていこうか。
Information で交通マップを聞こうと思ったのに、完全に閉まっている。
小さいショップが開いていたが、全然協力的じゃない。
・あっちに大きな店がある → 探したけどなかった。
・外に係員がいるから聞いてみたら → いねーじゃねーか!!
てな具合だ。
このときの自分はとっても面白くて、
最後はTaxiに乗ってしまおうと思っているわけだが、
他に手段がないか最後の最後まで粘る。
ルート66を走破(ベガスまでだけど)した俺にとって
こんな課題はなんでもないはずだと過信する。
一人で携帯電話している黒人はみんな敵だと思っていた。
このとき20時回っていた。
でもまー周りを見てみると、俺より襲われそうなやつはたくさんいる。
女一人もいるし、持ち物を置いたまま電話してしてるやつもいる。
困った顔した日本人も韓国人もいた。
この環境で、身長181cm、体重73kg。
7年間野球で鍛えて、衰えたこの自慢の体つき。ロスとはいえガタイはいい方だろう。
極めつけは、10日間のツーリングでパンダになった日焼けに
動きやすいユニクロのパーカーとスニーカーだ。
俺を襲うか? 否!否!!!
そんな感じで自問自答していた。
それから、いろんな人に話しかけてみるとシャトルバスに行き着く。
そこで青いジャージを着ている人が一台のシャトルバスを指差した。
よくわからんが、きっとシェアタクシーのようなものらしい。
一人25ドル。そして俺しか乗客がいなかった。
19:31やっと見つけたシャトルバス
その運ちゃんは、インドネシア生まれの中国人で、ずーっとピーナッツをかじっている。常にだ!それから30分。他の乗客を乗せるためずっと空港を回っていた。 こいつとの会話は、放送禁止用語が多くて書きづらいのだが
一部勇気をもって公開したい。
運「名前はなんていうの?」
俺「キムラ(うそ)です」
運「一月の稼ぎはどのくらい?」
俺「5万円だね。家賃はらっておしまい。」
運「日本にはガールフレンドはいるのか?」
俺「たくさんいる」
運「いっぱいしてるのか?」
俺「いっぱいやっているさ」
運「何人くらい付き合ったのか?」
俺「数えらんねー」
運「プレイボーイやな」
俺「君もね」
運「韓国人が一番かわいい」
俺「ほーそんなもんかね」
10日間ツーリングをしてきたことを伝えたら、日本語で「ばか」って言われた。
あなたに言われたくないわ!!
ここには書ききれないことが山ほどあったのはいうまでもない。
こいつは今27歳の時にロスに来て20年住んでいるらしい。
てーことは今47歳だ。それでこの会話かい!!金と女しかない。
日本とインドネシア以上に距離を感じた。
21:00 ビバリーINNに到着!
本日の宿泊先はこちら
無事ビバリーINNにたどり着き、チェックイン。70ドルにしてくれた。でもワイヤレスが一日7ドルもする。そこはいけてない。部屋はダブルベット。きれいで中央にプールを発見。
それからビバリー通りを夕飯を探しに歩いてみる。雰囲気の良い飲み屋はたくさんあったが、ここに一人で入る勇気はない。日本人もいたようだった。
通りには酔って抱き合うカップル。黒いスーツにかっこいいハットをかぶったおじいちゃん。 前には4人組のいまにもビートルズを歌いだしそうな人たちが歩いている。
ちょっと腕を開いて、肩で風を切ってみる。 それからモデル歩きをしてみるとちょっと気分がいい。 そして入ったお店は「MILK」というお店だった。
22:30 ビバリーヒルズで立ち寄った夜カフェ
どうやらアイスクリームが売りのようだったが、
そこで「サラダ」を頼む。うまい!!さすがビバリーヒルズ。 オプションでも手を抜かない!
帰りもモデル歩きをしてみたがなにが起こったというわけではない。
あー今日は疲れた。 明日はサンタモニカだ!!
(翌日)ルート66のウエストエンド サンタモニカ
2000マイル以上もかけて、10日間もかけて、やっとたどり着いた。 なんかちょっと胸にぐっと来るものがありました。
でも、なんかルート66の記念碑ってポツンとちっちゃくあるだけ。 それだけってちょっと寂しいけど、まーいいか。やり遂げたってことで。