ヒストリックルート66について
ルート66が“ヒステリック“と呼ばれるようになるまで
ヒステリックルート66はイリノイ州シカゴからカルフォルニア州サンタモニカの海岸まで全長3750kmの旧国道です。始まりは1926年に当時の国道ルートとして開通し、1985年に高速道路インターステートにとって代わられて、その幕を下ろしました。そのため、すでに公式な地図上には表示がなく私が旅した2008年には地図を入手するのが困難でした。そして1990年、途切れ途切れになったルート66を悼む声が大きくなり、ミズーリ州が歴史的街道(ヒステリックルート66)と宣言し、各州がそれに連動した結果、このヒステリックルート66が生まれたのである。
[ヒストリックルート66として復活!]
[分断され複雑に残るヒストリックルート66]
[舗装されていないまま残っているルート66]
なぜいまも人気があるのか?
ではなぜルート66はいまも大切にされ、人気があるのでしょうか?どうして映画や音楽、文学の世界で親しまれているのか?それはこの道がアメリカという国の歴史を表しているからだと思います。ルート66は人が歩いたところが道になり、国道に至りました。実際には1926年以前にも存在し、人々の生活に深く根付いていた道です。そしてルート66沿いにはたくさんのモニュメントや有名ホテルがあり、映画にもなっています。実際に走ってみると、廃れてしまった町や今は使われていないガソリンスタンドのモニュメントなどをみることができ、アメリカの歴史を感じることができます。
[ルート66沿いにあるモニュメント:ジャイアントボーイ]
[ルート66沿いにある今は使われていないガソリンスタンド とてもきれい!]
ハーレーダビットソンとルート66
そしてハーレーダビッドソンはただかっこいいということだけではありません。ハーレーダビットソン社は1903年に創業し、デザインの良さなどから世界中に愛好家がおり、オーナークラブも有名なブランドに成長しています。そして1969年に映画「イージー・ライダー」でルート66とハーレーは共演を果たし、同じ歴史のある道をこの歴史のあるバイクで走破したいという夢が広がっていったのではないでしょうか。実際に西部開拓時代のゴールドラッシュなどを夢見て多くの人がハーレーにのってルート66を走り、東から西へ移動していったのだろうと思うと、アメリカの歴史を感じずにはいられません。
きっかけは九州に旅行中に知り合った旅行者から教えてもらったのが最初です。当時バイクを買ったばかりの自分は、九州へバイクの旅に出かけてました。そのバイクと一緒に九州からの帰り道、船の中で出会った方が、「やっぱり最後はルート66に行くつもりなの?」と聞かれたのがきっかけです。当時、自分はルート66のことはまったく知らなかったのですが、いろいろと調べてみるうちに、日本にはない広大な大地、ロッキー山脈に向かって続く1本道を大好きなバイクかっ飛ばす!なんて面白そうなんだ!と思い行くことを決めました。当時はとても若かったというのも実はあります笑。
[当時雑誌でみた、憧れの道、ヒステリックルート66のカントリーロード]
そして実際にヒステリックルート66をハーレーで旅をした体験記はこちらからどうぞ