アウラングゼーブは、4人兄弟の下から2番目だったが、兄弟で王位をめぐる骨肉の争いを制し、王位を奪った。父に対して「ダーラー・シコー(長兄)を偏愛し自分は愛さなかった」とし、処刑した長兄の首をシャージャハーンに送り、精神的な復讐を成し遂げる。そして死ぬ間際、姉のジャハーナーラー・ベーグムは、アウラングゼーブを許す手紙にサインさせている。そしてシャージャハーンの亡骸をタージマハールに眠る、彼の母であるムムターズ・マハルの横に埋葬した。
アウラングゼーブはデリーに遷都し、イスラム教を広めたが各地で反乱に苦しむ。その死後、徐々に帝国は衰退し、滅亡していく。
写真ギャラリー
世界遺産登録情報 Ref: 251
1983年に文化遺産として世界遺産に登録されました。
登録理由
(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
場所
場所と行き方
デリーのガンディー国際空港から車で約4時間弱。近くにタージマハールがあるのでタージマハールのついでに行くのが通常です。
アーグラ城とは?
1565年に、デリーからアーグラへの遷都の際に、アクバル帝によって建設されたムガル帝国全盛期の権力の象徴として建設されました。その後、時の皇帝であったシャージャハーンの息子であるアウラングゼーブが王位を奪い、父親をこの城に幽閉しデリーへ遷都したため、徐々に使われなくなりました。
赤砂石から作られているため茶褐色であることから「赤い城」という意味の「ラールキラー」と呼ばれることもあるようです。ただ、デリーにも同じ赤砂石で作られた城があり、単にラールキラーというとデリー城のことを指します。
現在のアーグラ城の敷地内の大部分は軍により管理されているため立入禁止です。入れるのは南東の一部なのですが、それでもシャージャハーンが幽閉されタージマハールを見ながら生涯を閉じた「囚われの塔」(ムサンマン・ブルジ)を見ることができます。
シャージャハーンが幽閉され生涯を閉じた場所:囚われの塔(ムサンマン・ブルジ)
難易度:低
①行きやすさ:△
②日本人・日本の会社を介した現地ツアーがあるか?:〇
③環境(ホテルなどの施設が充実しているかどうか):〇
ベストシーズン
やはり雨期の6月後半~9月は避けた方が無難。
入場料金 550ルピー
アーグラ城に行ってきました!
暑い中、外国人もインド人もたくさん訪れてました。写真は土曜日の12時あたり。や羽目の方が空いててよいと思います。 アーグラ城の入り口。ほぼデリー城と同じ。アマルシィンという名前はムガール帝国と同盟国であった17世紀のジョードプル王の名前からとっている。 土曜日のためか、とても混雑していた。ここで表のチケットカウンターで購入したチケットをみせて入場することができる。 この坂は、敵が攻めてきたときに左右の溝から油を流し、滑りやすくするのと、火をつけて登れなくする仕組みとのこと。おそろしい。。。。ジャハーンギール宮殿 (Jahangir Mahal) 入り口付近
アクバル帝の時代に建築されたもので、ヒンズー建築である茶褐色やチャトリ(小さい塔)と六芒星や左右対称のイスラーム建築との融合がなされている。
ここは皇帝の後宮であり、当時5000人もの女性が生活していたと言われている。ムガール帝国の時の皇帝アクバルは、この広場で女性をチェスの駒にして楽しんだと言われている。
アーグラ城の穀倉として利用されていたとのこと。ここからヤムナー河を挟んでタージマハールをみることができる
ヤムナー河のほとりにひっそりと建つタージマハールを見ることができる。意外に遠く感じました。ここからシャージャハーンが毎日タージマハールを眺めていた景色がこれだとなんとなくいたたまれなくなりますね。
ディーワーネ・カース(貴賓謁見の間)
ディーワーネ・カースは身分の高い王族や貴族などが王様に謁見するときに使われていた場所、デリー城にも似たような形式のものがある。当時は宝石が散りばめられており、とても華やかだった雰囲気が今も残っている。
「囚われの塔」(ムサンマン・ブルジ)
白大理石で形作られた囚われの塔 ムサンマン・ブルジュ。幽閉されたジャージャハーンはこの場所から外にでることができず、ついにここで息を引き取る。年を取って目が悪くなってしまったシャージャハーンを思い、ダイヤモンドに写るタージマハールをみせたとき、シャージャハーンは大いに喜んだという逸話が残っている。
遠近法の関係で、人が集まっているところよりも、ここからの方がタージマハールがより近くに見えました。もし訪れる際は試してみてください。
ディワーネ・アーム 一般謁見の間