※クシナガラに訪れたときの体験談です。
そもそもクシナガラとは?
ブッダ入滅の地、四大仏跡の一つ。ブッダガヤで覚りへの道を得、サルナートで初めて説法を始めて45年経過した後、ブッダは故郷を目指して最後の旅に出たのですが途中で力尽き、その地がここクシナガラだったと言われてます。現在では、日本を含めた仏教国から寺院も立ち並びホテルも多いです。
場所と行き方
ゴーラクプル(Gorakhpur) という町に空港があるのでここにまず飛行機で向かうのがスムーズです。この空港からタクシーでヤク1時間の距離。見どころもまとまっているので非常に要所を回りやすかったです。
ブッダ入滅の地、クシナガラに行ってきました!
交通の中間地点のような場所で、見どころはあまり少ないと思ってましたが意外に都会でした。
12時頃、ゴーラクプル空港(マハヨーギー・ゴーアックナス空港)に到着。雨期に入ったばかりだと思ったので大丈夫かと思っていたのですが、この土砂降り。
空港自体は小さくゲートは一つだけ。そこから空港を出ると小さな門が一つだけでした。
どうやらタクシーの運転手はそこから入れないらしい。門の外に人がめっちゃいるし。。。。誰が空港の人だがわからないという。。。。
混雑してましたが外国人がほとんどいなかったためか、ドライバーがすぐに見つけてくれました。
さて、クシナガラへ出発!ゴーラクプルの町は小さく、あっという間に田舎道に出ました。そして約1時間後、クシナガラに無事到着しました。
クシナガラは割と広い町ですが、目当てのお寺やストゥーパは固まっているのでここからは徒歩で回ります。まずは大涅槃寺(マハーパリニルヴァーナ寺院)です。
ブッダが最後、亡くなったことを記念する場所 大涅槃寺
別名:マハーパリニルヴァーナ寺院
大涅槃寺とは?
ブッダ入滅の地を記念するお寺。中には金色のブッダが横たわった涅槃像がある。入場は無料。記帳される場合もあるようだが、自分の時はありませんでした。その後ろに、ニルヴァーナ・ストゥーパが建てられている。ブッダが入滅した場所には2本の沙羅双樹があったということで、このお寺にも2本の沙羅の木を植えているとのこと。
地図を見ながらたどり着くと閑散とした門がありだれもいませんでした。というか土砂降りの雨だったのでそりゃそうだよね。
積極的に話しかけてきて頂いた僧か地元の方か、英語ははなせず会話が全然できなかったのですが親切に中に入れてもらいました。特に入場料や記帳はなし。後にお金を要求されることもなかったです。
中は、とても静かでどこか天国のような荘厳な雰囲気がありました。そして園内は割と広く、まっすぐにお寺まで行くことができず、ぐるっと回ります。
スリランカから寄付された大鐘が寺院と同じ敷地にありました。
この涅槃像は5世紀グプタ王朝期の作品らしく、近くのヒラニヤヴァティー河床から発掘されたものらしいです。もともとは赤色だったらしいのですが、信仰深い仏教徒により金箔が施され今の色になったとのこと。
ブッダの涅槃像の足の裏にはお布施や金箔をはる仏教徒の人もいます。これは仏教初期にもともと偶像崇拝が禁止されていたころ、お釈迦様の足の裏の相を刻んだ仏足を拝んだというところに由来しているようですね。
目を閉じて、安らかなお顔に見えます。
ブッダ入滅の時の物語
『大パリニッバーナ経(大般涅槃経)』という経典にブッダ入滅の際の物語が書かれているようです。
鍛冶屋チュンダに食事を食した後、突然激しい腹痛に見舞われた。その後、クシナガラに到着したブッダは、弟子アーナンダにこうお伝えになりました。『2本の沙羅の樹の間に、頭を北にして床を敷いてほしい。私は疲れた。横になりたい』アーナンダは直ちに床を作りブッダを休ませました。お亡くなりになる当日、スバドラ(パーリ:スバッダ)という行者に法を説かれました。感銘を受けたスバドラは出家し、お釈迦さまの最後の直弟子となったといいます。そしてブッダは弟子達を悟した後に入滅。80歳の時でした。
ブッダが入滅する際に上記のような物語があり、涅槃像の脇には3人の像も彫刻されてました。こういう物語を知ってみるのと、知らないで見るのとでは全然異なりますね。
ニルヴァーナ・ストゥーパ
近くで見るとでかい!ニルヴァーナ・ストゥーパのニルヴァーナとは涅槃と訳されますが、インド人に聞いてみるともともとはヒンディー語で輪廻転生から解脱するという意味とのこと。
ブッダが最後に説法した場所 マタ・クアー・シュライン
大涅槃寺から南に100mほど行くと、最後の説法をした場所に黄金の仏像がある。
このシュライン(神社)と書かれているが小屋が一つひっそりと建てられており、その中に黄金のブッダ像がひっそりとありました。信仰深い仏教徒に守られて黄金のブッダ像はきれいな保存状態でした。ただこの日、自分が訪れた時間には誰もおらず、、、インドでは仏教はあまり普及していないんだなと感じましたね。少し寂しいですね。
日本・スリランカ仏教センター
ブッダ最後の説法跡地に向かって左折ししばらく行くとチベットや韓国、Nikkoホテルなどがある通りに出ます。その一つに日本・スリランカの共同仏教センターがあります。
ここも金色のブッダ像となにやら徳の高そうな僧の写真がずらりと並んでました。ブッダの弟子の方でしょうか。。。よく調べてみてもこのお寺の情報がほとんどなかったです。雰囲気はとても荘厳で、声を出すのもためらうくらいでした。
ブッダが最後に沐浴した場所 ヒラニヤバティガート
さて、ブッダが最後に沐浴した場所、ヒラニヤバティガートです。入り口はここも閑散としており、ヒンズー教の方かな?と思うような現地の方がたくさんいました。
入り口にはあまり人はいませんでした。ここがブッダ最後の沐浴をしたガートです。見たところこちらも装飾、絵画、人などおらず、廃れている感がありました。なんだか寂しいですね。。。。
ブッダが最後に荼毘に付された場所 ラマバール・ストゥーパ
こちらが、ブッダが亡くなった後に火葬された場所で、今は巨大な仏塔(ストゥーパ)が建てられてました。ひっそりとした静かな場所で観光客もあまりいませんでしたね。
ブッダが歩いてきた道、4大仏跡の最後の場所はとっても静かな、ひっそりとした場所でした。ブッダが最後に残した言葉も4つの仏跡をすべてたどってみるとその重みが違うなと思いました。今は飛行機で世界中を回れる良い時代になりましたが、約2000年前のブッダの時代、80年の生涯をかけて説法をしながらたどった道にとても人の一生とは、生とは、死とは、を考えないではいられないです。
ブッダの最後の言葉
「諸行は無常である。つまり世の中のすべてのものは無常であるから、怠ることなく修行に励みなさい」
(古代インドのパーリ語で記された「マハーパリニッバーナ・スッタンタ」(「大般涅槃経」より)
宿泊したホテル
さて、今日のホテルはこちらです。
個人的にはクシナガラは仏跡最後の町なので奮発して雰囲気の良いホテルを選びました。一泊3900Rs程度でしたのでコスパはよかったように思います。ただ、まだ構築途中のホテルみたいで工事の音がとてもうるさかったのはとても残念でした。。。。
ザ ラディアン リゾート/The Radiant Resort ★★★★